カフェ頼政道

8月3日 第88回 カフェ頼政道  「れもんカフェ第2回」 終了しました。


「森先生と学ぶ”れもんカフェ”」

11:30~13:00 
ランチ・喫茶タイム
13:00~14:00 

今年1回目「森先生と学ぶ”れもんカフェ”」
昨年始まった宇治市事業の認知症カフェ(通称)「れもんカフェ」を、今年も年3回カフェ頼政道で行います。もちろん昨年に引き続き、森先生が駆けつけて下さいます。
認知症は、高齢になれば誰もが経験する…私たちの今の生活と地続きで、ごく当たり前のこと。避けて通れないのなら、そうなっても困らないよう正しく理解し、ともに生きていく知恵を学びましょう。

宇治市認知症カフェ 「れもんカフェ」府立洛南病院森俊夫先生と認知症を学ぶ

2014 8/3  2014第2回 れもんカフェ

『府立洛南病院 森 俊夫先生と認知症を学ぶ』

感想とお礼

今回はカフェ頼政道史上最大の参加者が集うカフェとなりました。
最初は、夏ということで青バットを元気に振る北野さんのリードで、皆で甲子園応援歌「栄冠は君に輝く」を合唱。
その後、森先生が登場し、仙台から14名一行が来場されたことを説明され、その中心人物の丹野智文さんを紹介される。
奥さんと中学生娘さん2人との4人家族の丹野智文さん(40)は自動車のトップセールスマンだった3年前から物忘れに気づき、昨年「アルツハイマー型認知症」と診断されました、と。

その丹野さんが自分の物忘れに気づいてから受診を経て現在に至るご自分の思いを、原稿を見ながら語られました。言いづらい話を、明るい若々しい声で語って下さった。そのことだけでもこのスピーチは奇跡の独白と言えます。

丹野さんの『認知症 奇跡と希望のスピーチ』の中の言葉の幾つかを書きます。

最初の病院で認知症を疑われたが、あまりにも若いので大学病院で入院して再検査することになり、そこで若年性アルツハイマー病と診断された。そこの医師に始めて認知症がどんな病気かの説明を受けた。
「アルツハイマー型認知症」と診断された時「認知症 =おわり」と感じた。
会社から仕事内容を営業から事務に変えてもらった。
慣れない事務の仕事をミスなくやるためにノートに書いておいた仕事の手順を見ながら仕事をしている。以前より頭の疲れがひどい。
インターネットで調べて「認知症の人と家族の会」に出会うことができた。そこで同じ症状の方・同じ薬を飲んでいる方と出会えたことが嬉しかった。わかってくれる人がいる。 認知症・家族の会へ行ったのは自分の認知症が進んだ時、奥さんを助けてくれる場所があればと思ってのことだったが、今では自分が楽しい。「認知症の人と家族の会」の翼(つばさ)合唱団へは楽しく通っている。
認知症になって悪いことばかりではない。多くの人と巡り合った。優しさに触れた。家族とも話す機会が増えた。
認知症は恥ずかしい病気ではない。認知症はただの病気です。偏見を捨ててほしい。
認知症になって、できないこともあるが、できることもたくさんあります。
病気になったことで辛いのは自分のことではなく、家族に心配をかけるがつらい。
若年性認知症への社会的支援が少ない。社会が認知症の方を支える体制を築いてほしい。自分もそのための一人になりたい。そのため病気をオープンする決心をした。その決心の前にはおおきな葛藤があった。自分の病気が明らかになったら娘たちがいじめられたりするかもしれない。 中高6年間所属していた弓道部の集まりで、仲間の言葉に救われた。「お前(丹野さん)が俺たち(仲間)を忘れてしまっても、俺たち(仲間)がお前(丹野さん)を覚えている」 その仲間の言葉を聞いて「忘れても良い」のだ、思うようになった。
認知症が治る薬ができることを望んでいる。認知症の方を支える社会を作りましょう。

丹野さんのスピーチ、25分くらいの時間だったでしょうか、カフェの中の雰囲気を一言で表すことはとても難しい。「何故こんな若者が」という困惑もあったと思います。しかし時間が経つに連れてその緊張が共感に変わっていったことは確かです。スピーチが終わったあとの拍手にはそのことを示していました。
丹野さんの言葉の一つ一つが胸に染みました。ここでは丹野さんが話されたことすべてを網羅できていないかもしれません。許してください。紹介できたのは一部です。それに細切れです。でもしっかり味わってください。お願いします。そして皆さん、今すぐ自分のフィールドでできることはじめようではありませんか。

 丹野さんは手を抜かない。
スピーチ中やその前後にも見せる丹野さんの気遣いにはびっくりします。握手を求める高齢者にも決して目をそらさずに対応される。帰る間際には厨房にまで来て、後片付けをするスタッフにお礼をされた。声を出してありがとうと、しっかり言われる。挨拶にも手を抜かれない。このような好青年に将来訪れる幸運が一刻も早いことを願っています。

スピーチの後に森先生が話される。
丹野さんの存在に触発された森先生、丹野さんの言葉のもつ優しさと力に触発された森先生はいつもよりやや興奮しながら、多くのことを私たちに教えてくださった。
認知症を持つ人たちを支えるということが持つ普遍的な意味をみんなに提示される。
例えば、認知症だけではない、ハンディを持つ人を社会が、地域がどのように支えるか、それは皆の問題です、と。
丹野さんに対するご自分の課題も明示された。記憶はそれぞれの個人の頭の中にのみあるのではない、記憶の幾つかは人間と人間をつなぐものの中にあるかもしれない、とおしゃりながら次回にはもっとわかりやすく説明できるようにします、と。このことだけとっても森先生にとって丹野さんの存在がいかに大きいかが、わかります。

丹野さん、ありがとう。
山崎先生、もっとお話ししたかった。
仙台の皆さん、本当にありがとうございました。

森先生は丹野さんとの京都での2日間を過ごした翌々日、この2日間は「神が与えてくれた時間」だった。緊張して過ごした、と回顧されています。そして、時間がかかりそうですが、五感を通して共有した時間を繰り返し反芻しながら言葉の熟成するのを待ってみますとおっしゃっています。
森先生、ありがとうございました。

 2014年 8月5日                                 門阪  庄三

頼政道 頼政道
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宇治市認知症カフェ 「れもんカフェ」について

宇治市認知症カフェとは、認知症についての正しい理解を啓発し、誰もが地域で明るく前向きに活動することを目的にした事業で、その呼び名も「れもんカフェ」と言います。25年度に宇治市内4か所で実施され、NOP法人カフェ頼政道もその一つの拠点として、宇治市から事業の委託を受けました。いろいろな事を学べ、生き方についての示唆が得られると思います。

宇治市認知症カフェの活動は新聞記事でも紹介されています。
  ・平成25年6月20日 京都新聞  記事はこちらからご覧いただけます。
  ・平成25年7月 1日 朝日新聞   記事はこちらからご覧いただけます。

  京都新聞の記事内容を読みやすく、以下に記載いたします。

山城初の認知症カフェ、宇治市と府立洛南病院が開設

初期の認知症患者と家族を支援するため、宇治市と京都府立洛南病院(同市五ケ庄)は、山城地域で初となる認知症カフェを29日に同市槙島町に開設する。医師ら専門職を配置し、早期のケアと治療に結び付けるのが特徴で、9月までに市内4カ所に相次ぎ誕生させる。

 認知症患者を地域社会で支える市の取り組みの一環。同病院の医師、森俊夫さんが昨年12月から試行する認知症カフェを引き継ぎ、運営と企画は市福祉サービス公社(同市宇治)に委託する。

 症状が軽い初期の認知症は発見が遅れがちで、専門的なケア体制も確立していない。カフェでは患者や家族同士が悩みを話し合うなど交流し、参加する医師や「認知症コーディネーター」の社会福祉士にも気軽に相談できる。地域住民へも呼び掛け、疾病に対する理解や予防を広める。

 当面、同市槙島町の地域交流型レストラン「リオス槙島」でカフェを月1回開く。7~9月に東宇治地域福祉センター(五ケ庄)、NPO法人が運営する「カフェ頼政道(よりまさみち)」(平尾台)、西小倉地域福祉センター(小倉町)の順にオープンする。

 森さんは「当事者が安心できる『居場所』と、重症になる前に専門職と出会う『前線』の拠点にしたい」と話す。カフェは市民対象で有料。コーヒーや軽食を毎回提供する。
市健康生きがい課TEL0774(20)8793。