カフェ頼政道

「第99回 カフェ・頼政道」 3月1日

終了しました

「頼政道のお話」


「頼政道のお話」


11:30~13:00 
ランチ・喫茶タイム
13:00~14:00 

頼政道のお話
「地名は、土地につけられた名前であり、そこに関わる人達の様子を物語る。(中略) 最近、住宅開発や市町村合併により、全国の大字・小字の地名が消え去っています。地域の個性が薄れて、愛着がなくなるという懸念があります。祖先から伝わっている地名を残すように工夫し、地域の歴史や伝統文化などを貴重な資源として活用を図り、住民自らが主体となって魅力あるまちづくりを進めねばなりません。」…"
≪京都地名研究会設立の趣旨より一部抜粋≫
人と人とのつながりをもって、私たちが住んでいる町を大切にする、カフェ頼政道の考え方と同じですね。


99回 カフェ頼政道 「頼政道の話」   2015年3月1日(日)

皆さんご存知のようにカフェ頼政道は源平盛衰記で言うところの木幡の里にあります。すぐそばには故三門光雄氏が揮毫した石碑「頼政道」があります。また、六地蔵から日野に向かう京阪バスの停留所「頼政道」があり、少し西に下れば「頼政橋」があります。ご承知のようにその縁でこの我らがカフェを「カフェ頼政道」と名づけたわけです。
京都地名研究会の常任理事の斉藤幸雄先生のお名前を知った契機は昨年11月22日朝日新聞朝刊の記事「老将歩いた道たどる」です。この記事のなかで斉藤さんは頼政道の全体を説明されていますが、その中で「頼政道だとわかるところは断片的です」と書かれています。どうもそのようであるらしいのです。そういえば4周年記念講演の際に、京都女子大 宗教・文化研究所の野口実先生は「頼政はここを通ったことは蓋然的に間違いない」とおっしゃっていました。今回はそこのところをいっそう深く知りたいということでこの記事を書いた朝日新聞記者の小山琢さんを通じて斉藤先生を紹介していただき、今回の講演が実現いたしました。
当日、斉藤先生には今回の講演には大変力が入っていることをうかがい知れる資料、なんと地図を含めたA3 4枚の資料をご用意していただきました。その上先生はご自分が記されたご本(「京都地名検証」他)も数冊持参していただきました。感謝です。 一方参加者の中に普段お見えにならない歴史好き男性が多数参加されていていつもと違う雰囲気です。
さて斉藤先生のお話は頼政道の話に留まらず、源三位頼政という名前の由来、頼政の人物像のまでの広い範囲に及びました。 ここでは非常に興味深い一部を紹介いたします。斉藤先生によれば先生自身が以前に考えていた頼政道の木幡ルートは間違っているかもしれない。持参された書籍に書かれた頼政道の木幡ルートの一部に今は疑問を持っているというものです。先生のお考えはこの木幡の里あたりから宇治に向かう頼政道は黄檗山の北の麓で西に折れて頼政橋を経由するのではなく、柳山(昔 許波多神社があった今の黄檗公園)を通過する経路が正しいと考えられる、というものです。そうか頼政一行は黄檗公園を右に見ながら木幡山を駆け下りたか・・・。講演後、参加者から多くの質問がでました。多くの意見交換があちらこちらでされていました。斉藤先生ありがとうございました。